はじめに[テクノロジーの哲学]

新たなテクノロジーが、これまで予期し得なかった問題を呼び起こすことは決して珍しい話ではない。それは哲学的な問いも例外ではなく、それどころか、倫理や哲学的な問題が主題となることもしばしばある。

AI(人工知能)がもらす変化は、シンギュラリティのようなセンセーショナルな問題ばかりではなく、われわれの労働観に大きな変化をもたらすだろう。

シェアリング・エコノミーもまた、人間の仕事や経済活動に対して哲学的な問題を生み出す。

バイオテクノロジーの領域は、倫理的な議論がもっとも盛んな分野の1つだ。すでに数多くの哲学者がこの問題に向き合っているが、技術的進歩が加速するに連れて、今まで想像もできなかったような倫理的課題が浮かび上がってくるはずだ。

未来の技術は、往々にして予測できるケースが少なくない。

AIが活用される未来も、シェアリング・エコノミーが当たり前となる未来も、そしてバイオテクノロジーが浸透する未来も、すでに「それは本当に実現するのか?」という質問ではなく、「その未来はいつやってくるのか?」という問いになっている。

だからこそ、予め倫理的・哲学的課題に対して準備を施しておくことが必要不可欠なのだ。

テクノロジーと哲学

しかしながらこれまでの哲学は、テクノロジーがもたらす未来の変化について、十分に語ってきたとは思えない。

テクノロジーの側から「あとは倫理的な問題だけ」という状況になっても、そのテクノロジーについて深い知見を持ち、的確な議論を提示できる哲学・思想の専門家はそれほど多くない。

むしろ、優れた哲学者であっても、テクノロジーに対する理解の不足から、SF的な荒唐無稽な議論をおこなってしまったり、現実的な技術的課題を無視してしまうケースもある。バズワードのごとく、AIやメディア、ロボットといった単語を使い、具体的なテクノロジーの話に至らないエッセイも散見される。

逆にテクノロジー側の問いかけも十分ではない。テクノロジーの進歩がもたらす社会的な変化は、自由や平等、社会的公正といった問題から、労働や格差の問題まで、幅広い議論を想起させる。

しかしこうした哲学的な議論に十分な目配せをしながら、未来を語ることは容易ではない。その結果として、倫理的な良し悪しが相互に叫ばれるだけの、不毛な議論を呼び込んでしまうことも少なくない。

こうした課題の重さを十分に理解しながらも、テクノロジーと哲学の関係、すなわち「テクノロジーの哲学」を考察していくことの重要性は疑いないはずだ。

そこで弊誌では、今後「テクノロジーの哲学」と題して、この問題を少しずつ取り扱っていく。

哲学の役割

そもそも哲学は、難解な言葉をこねくり回して、答えの出ない問いを延々と考えている学問ではない。むしろ、それは論理的且つ明晰な方法によって、物事を原理的に考察する学問である。

だからこそ、これから起こり得る社会的な問題に対して、補助線を引くことは十分に哲学が得意とするところである。

哲学と社会的な制度は、緊密に結びついている。

例えば「平等」という概念について、現在でも人種や性、あるいは文化の平等は人類の大きな課題となっている。われわれは今、人種の平等を当たり前のものとして受け取っているが、そこに至るまでは、数々の論争が存在した。

例えば、自由を擁護した最もよく知られた哲学者の1人、j.S.ミルでさえ植民地主義を擁護して、文明国が非文明国を支配することの正統性を認めた。

こうした平等に対する観念が変化するには長い時間を要したが、第二次大戦後のアメリカで起こった公民権運動を経て、人種の平等は制度化されるにまで至る。

われわれがいま、直観的に感じている「差別は良くない」という観念は、哲学者による論理的な擁護・議論の上に、少なからず基礎付いていると言える。

ではたとえば平等という問題を考えた時に、テクノロジーは経済的不平等を拡大させるのだろうか?AIやシェアリング・エコノミーはその代表的な代物となるのだろうか?

AIによって仕事を奪われる職種が予想されるとすれば、技術に何らかの制限をかけるべきなのだろうか?それはどこまでがテクノロジーによって起こり得る未来の変化であり、どこからが不当な格差になるのだろうか?

おそらく数年後のわれわれは、こうした問題にアクチュアルな対応を迫られているはずだ。

哲学や人文学が何の役に立つのか?という問いが投げかけられて久しいが、上記のような経緯を考えても、それらが役に立つことは自明だろう。

今後テクノロジーによって起こり得る社会的な変化に対して、われわれの社会がどのような倫理的・制度的な設計をおこなっていくべきか?という具体的な議論を投げかけることによって、その重要性は、一層際立つことになる。

課題

しかし同時にわれわれは、テクノロジーに対して哲学が十分な応答を見せることができなかった経験を数多く知っている。原爆や核兵器、環境問題、ナチスによる優生学など、いずれもテクノロジーの発達や誤った理解に対して、倫理的・哲学的な応答がなされなかった例は少なくない。

果たして、哲学がこうした過去の経緯に抗って、十分な力を示すことができるのかは現時点では分からない。むしろ、哲学がテクノロジーの誤った乱用に加担してきた歴史があることを考えれば、両者の結託がもつ危険性に、十分自覚的になる必要があるだろう。

また加えて、ひとくちにテクノロジーや哲学といってもその領域は広範に渡る。両者の基本的な問題を十分に理解したうえで、的を得た議論を提示できるかも不明だ。

先に示した課題の重さとともに、こうした問題に十分留意しながら議論を進めていきたい。

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初回ではまず、日本でも有名なマイケル・J・サンデルが「エンハンスメント」問題を扱った『完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理-』を参考にしながら、哲学とテクノロジーの関係について概観していく。

なぜテクノロジーの議論に哲学が求められるのか?という点で、本シリーズの初回にふさわしい内容となるはずだ。

AUTHOR

石田健

石田健

1989年生まれ。THE MEDIA HACK 編集長。 大学在学中より、企業ブランディングファームに参画して、バイオ系上場企業の案件などを担当。 2011年の早稲田大学在学中に株式会社アトコレを創業。その後、大学院での研究生活を経て、2015年より株式会社マイナースタジオ代表取締役社長。2015年に株式会社メンバーズへ売却。 早稲田大学文学部卒業、政治学研究科修士課程修了(政治学)。